這是剛在ENDLICHERI的官網上, 寫的一段話, 懂得日文的人, 請看日文去體會, 看不懂日文的, 請看下面瓶子的翻譯。
朋友問:為什麼他寫的出這樣的文字?
因為, 他是個願意傾聽, 願意低頭看看路邊的小花, 為一支無謂的雨傘擔心的人。
就像你, 會為底下這篇文字而感動一樣。
容易掉眼淚的, 最好準備一下面紙....^___^
「原文」
ENDLICHERI☆ENDLICHERIとは?
「ぼく」が生まれてきた意味。
「ぼく」は、日々という空間を悩み、難しく。
時には柔らかく想いながら、街という水槽の中で、昇っては落ちて…
呼吸を懸命に繰り返し受け止めてみているさ。
あなたにとって当たり前な景色が「ぼく」にとっては羨ましく。
「ぼく」にとって当たり前な時間が、あなたにとっては珍しく。
水槽を泳げば、どなかたが指で「ぼく」を指すよ。
鼻で笑って見送られるよ。
名前も存じ上げない方に、名前を呼び捨てにされてしまうよ。
…嫌ではないさ。
それが、その方にとっての「ぼく」なのだから。
全ての方に理解して貰うには
凄まじい努力がいる
自分ですら理解の出来ない自分のだから
気に掛かることは、ギターのヘッドで眠らせてまずは…「ぼく」探そうか。
胸が痛むのは生きているから、「ぼく」だから「ぼく」だから。
産んで貰ったことへの感謝と喜びを、丁寧に噛み砕き、様々な時間に
力強く、挑み泳ぐのです。
大事なのは、ひとつだけではないと云うことさ。
物事には様々な食べ方があるのだから。
自己を最大限に解放し、闇を恐がらずに光を放つ。
その時「何か」が胸の宇宙で響くのです。
その星にも似た音符を、魂を、知ることを繰り返し繰り返し、
礼儀を持って感じ続けるのです。
そこの奥に、本当の自分がいる。
この『胸宇宙』が一体どんな布を纏いたがっているのか。
この『胸宇宙』が一体どんな色を塗りたがっているのか。
この『胸宇宙』が一体どんな音を弾きたがっているのか。
「ぼく」自身が出発地点。
「ぼく」自身から放たれた芸術。
「ぼく」自身が持っている宇宙に輝く魂星。
堂本 剛の 『胸宇宙』
ENDLICHERI☆ENDLICHERI
「翻譯」
ENDLICHERI☆ENDLICHERI是什麼?
是我生存至今的意義。
「我」為這稱為歲月的空間煩惱,難解。
有時,一邊溫柔地回想,一邊在人稱城市的水槽中,一會兒飛翔一會兒墜落…
我拼命地反覆呼吸,接受一切。
對你而言,理所當然的景色,對「我」而言,卻是羨慕的。
對「我」而言,理所當然的時間,對你而言,卻是珍貴的。
在水槽裡悠游時,有個人,用他的指尖,指著「我」。
一臉嘲笑地看著我離開。
讓連名字都不知道的人,將我的名字簡化了。
…我並不討厭這樣。
因為,對那個人而言,那就是「我」。
為了能得到所有人的理解。
需要努力再努力。
因為那是連自己都無法了解的自己。
而我所掛心的,就讓我睡在吉他旁,先來…尋找「我」吧。
會感到心痛,那是因為活著,那是因為「我」,因為「我」。
小心翼翼地,咀嚼著對出生的感謝與喜悅,在各自不同的時光裡,用力地,戰鬥著游著。
重要的東西,不是只有一個。
所有的一切,都有不同的品嘗方法。
將自己解放到極限,不畏懼黑暗地放出光芒。
那時,會有著「什麼」,在心中的宇宙裡,響著。
就連那星星也像音符、像靈魂般地,重複著,重複著早已了解的東西。
抱著禮貌的心,持續感受著。
在那深處,存在著,真正的自己。
這個『心之宇宙』到底想裹上什麼樣的布帛。
這個『心之宇宙』到底想塗抹什麼樣的顏色。
這個『心之宇宙』到底想彈出什麼樣的聲音。
「我」是自己的出發點。
「我」是被自己釋放出的藝術。
「我」是自己所擁有的宇宙裡閃耀的靈魂之星。
堂本 剛的『心之宇宙』
ENDLICHERI☆ENDLICHERI
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